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決まり手はフロントスープレックス!

元横綱の北の富士さんが亡くなりました。

現役時代はJTは引退間際の場所しか記憶にありません。1974年で引退しているのでJTは10歳の少年でちょうどテレビで大好きな貴ノ花を応援している頃でした。当時は相撲はプロ野球並みの人気でその頂点が貴ノ花でしたが、ハマりにハマって過去の歴史も網羅するようになりました。といってもせいぜい雑誌や書籍で見るレベルですが、生まれる前の時代もだいたい分かるようになりました。学校で相撲を取ると、まさに貴ノ花のごとく小兵なのに強かったです(^_^)v。とにかく色々な技を試しては勝ち続け、5年生の時に転向してきたデカいやつにも勝ちましたが…転校生人気で何となく負けにされた感じでしたが行司もいなければビデオ判定もないので仕方ありませんが、確かに相手が落ちるのを見てから手をついたので…ってどうでもいいですね(^_^;)。

その北の富士と貴ノ花というと1972年1月場所での「つき手かばい手論争」の歴史的な一番が有名です。JTは後に写真で見たりVTRで見たにすぎませんが、足腰が尋常ではなく強い貴ノ花が後方へ投げた際に北の富士が手をついた、その手が「つき手」か「かばい手」か、どっちだ!?という一番です。

「つき手」は投げられた際に土俵に手がついてしまう状態で、普通に負けになりますが、「かばい手」は相手が押しつぶされては怪我してしまうために、故意に手をついてかばう状態で、投げた方は「体がない」=死に体とみなされ手をついても負けになりません。ただ貴ノ花の両足はしっかり土俵についていたため行司軍配は貴ノ花に上がりましたが物言いで覆ったのです。行司もファンも猛抗議だったようですが、当然そのまま北の富士の勝ちになりました。

ところがプロレスファンの仲間とは、「あれは貴ノ花のフロントスープレックスだよな!」という解釈でした(^_^;)。


ただJTは北の富士も好きでした。

優勝10回を誇り、顔も男前だし体格も太り過ぎていないカッコイイ横綱だったのでもっと長く見ていたかったです。

親方になっても千代の富士と北勝海の2横綱を育て、その後はテレビ解説でも活躍されました。

最近解説にも出なくなったので、まぁお年もお年だしなぁと思っていましたが…残念な一方、お相撲さんとしては長生きされたかなと思います。

享年82歳。ご冥福お祈り申し上げますm(_ _)m。




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2024年11月18日
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