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猫をだましちゃいけません

子供の頃に「きたのこ?」とか「きたのみずうみ?」と読まれがちだった元大横綱の北の湖理事長が急逝されました。初代大関貴ノ花ファンだったJTのみならず「憎たらしいほど強い」存在でした。
そんな相撲大好き少年だったJTは、四股名以上に疑問だったのが入門が13歳だったことです。当時はインターネットもありませんので疑問のままでした。13歳というとどう考えても中学生ですし、中学は義務教育です。何故プロの力士になれるんだろうか…と。どうやら両国の中学に通いながら土俵に上がっていたようです。しかも地方場所にも出場していました。
そんな若くしてデビューしたこともあり、勝利の記録と共に数々の最年少記録を打ち立てました。最年少の21歳2ヶ月で頂点の横綱に登りつめ、横綱在位67場所も歴代1位だということで、うだつの上がらないどこかのサラリーマン(ギクッ!)からすると、ただただ羨ましいです(^_^;)。けど通常若くして上位へ出世するスポーツ選手は人気者が多いですが、憎らしいといわれたのは北の湖の“戦う美学”がありました。それは「負けた相手に手を差し伸べない」というものです。自分が負けたとして相手に手を差し伸べられたら情けない、だから自分もやらない…という思いです。また「横綱は負けてはいけない→観客は相手を応援する→けど自分は勝ってしまう→観客はがっかりする→ますます憎まれる」という方程式に酔っていたのか、自虐的にそう思ったのか「横綱は『頑張れ』と言われたらおしまい」と思ったそうです。精神的にも大横綱だったんですね…。
引退後は親方業や理事長として活躍され、亡くなる前日まで仕事をされていたのでまさかの急死でした。千秋楽は優勝争いの3力士とも敗れての結末でしたが、ご健在ならきっとお怒りになったことでしょう。随分年上に見えましたが享年62歳ということで…見方によってはJTと近い世代ともいえます。

そう考えると…大相撲からプロレスに転身し65歳まで現役で戦った天龍は凄いですネ(もっと年上もいますけど…)。もしやと思い調べてみると何と故北の湖と大相撲時代に対戦しており1勝1敗でした(^^)v。

ご冥福をお祈りいたします。

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