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久々の追悼

1986年10月9日、前年に新装した両国国技館で「INOKI闘魂LIVE」が開催されました。時代はまだ昭和(61年)。メインはもちろん猪木で異種格闘技戦でレオン・スピンクスと戦ったのですが、どうにもこうにもイマイチな一戦でした。スピンクスといえば‟あの”モハメッド・アリを倒して一躍ビッグネームになったプロボクサー。アリとの再戦を目指していた猪木にとってはピークは過ぎていたとはいえ格好の相手。そんな元王者に猪木はグローブを着用して挑んだのでかなり批判を浴びていた記憶があります。試合もよく分からない決着でしたので両国のファンも暴動もののハズでした…。
ところが意外にファンは満足して帰路に着いたのです…多分(^^ゞ。
それはセミファイナルで行われた前田日明vsドン中矢ニールセンの一戦が、思いの外かみ合った名勝負になったからです。名前が示す通りニールセンは日系ファイター(3世)で、米国マーシャルアーツの王者でした。当時「マーシャルアーツ」と聞くと、どこの誰だか分からなかったですが(^_^;)、とにかく一発もらったらおしまい的な脅威がありました。ある意味ボクサーと戦うよりも飛び蹴りがある分緊迫感が半端なく、この一戦もまさにそんな雰囲気でした。試合は前田の勝利となりましたが、おかげで「新・格闘王」の称号を獲得する、前田的には転機になった出世試合だった訳です。
一方のニールセンも高評価を得て、その後日本でも戦う場を与えられ山田恵一(っていましたよね~(^_-))や藤原喜明をはじめシャムロックや佐竹らとも戦ったのです。
最近はタイでカイロプラクティック院を経営していたようですが(何故タイ?)、8月15日に亡くなったようです。享年57歳の若さです。
昨年日本にも来ていたようで、「いつか前田にも会いたい」と言っていたようで、前田も「いつかタイへ訪ねてみたい」と思っていたようですが、願いかなわずでした。
また昭和の一ページが終わりました。ご冥福をお祈り申し上げますm(_ _)m。

というとこで、本当に会いたい人にはなるべく会っておかないと!と思う53歳の夏であります。

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