村田兆治が亡くなりました。閑静な成城の街の深夜に消防車が25台駆け付けたそうですが消化も間に合わずご逝去されたそうです。少年野球の指導に全国を回ってお元気そうでしたので…詳しくは分かりませんがまたも大物有名人の訃報となってしまいました。
故人は通算215勝を挙げた大投手です。
215勝というと今ではとてつもない勝利数ですが、最多勝は1回だけでした(1981年阪急今井雄太郎と19勝でダブル受賞)。が、一番多く勝ったのは1976年の21勝です。こちらも今では絶対最多勝間違いなしの勝利数ですが、上には上がいまして、その年のパリーグの最多勝はJTが憧れたサブマリン・阪急の山田久志の26勝です(^_-)。ただ村田は見事最優秀防御率を2年連続で受賞していました。しかも1.82と2点以下の凄い数字を残しています。
驚いたことに70年代はロッテ投手陣が奮闘していまして
70年成田文男25勝
71年木樽正明24勝
73年成田文男21勝
74勝金田留広16勝
が最多勝で、抜けている72年はロッテ移籍前の東映金田が阪急山田と20勝でダブル受賞しています。
因みにその後は
75年東尾修(太平洋)23勝
76年山田久志26勝(前出)
77年鈴木啓二(近鉄)20勝
78年鈴木啓二25勝
79年山田久志21勝
80年木田勇(日本ハム)22勝
…と20勝以上が毎年のように出ていた時代ですし、鈴木、山田、東尾ら強力なライバルがゴロゴロいましたね。
もっと遡ると50~60年代は稲尾の42勝はじめ30勝投手も他に4人(杉浦、小野、小山、皆川)もいましたし、村田をはるかに上回る阪急米田哲也は350勝もしながら最多勝は1回きり(66年の25勝)。29勝を挙げた68年は31勝の皆川がいました。…凄い時代でしたね。
そんな時代を生き抜いた大投手です。独特なマサカリ投法や「サンデー兆治」で人気を博しました。あの石原さとみも始球式で真似をしてましたね。
9月には逮捕劇もありましたが何かの行き違いだったのではないかと思わずにいられません。
享年72歳。ご冥福お祈り申し上げますm(_ _)m。