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後でねって…木戸さん!

その昔、明大前駅近くに「梵婆家」というお店がありました。読み方は「ボンバイエ」です!そう、当時は珍しいプロレス居酒屋でしたが20代のJTは仲間としょっちゅう顔を出していました。メニューもプロレスチックなネーミングにしていまして、例えば「ジャイアント紙かつ(でっかいとんかつ)」、「藤原のほほえみ(チキンウイング)」、「橋本チャーハン(大盛りチャーハン)」といった具合で、プロレスファンなら思わずニヤけてしまう凝りよう。お味もグッドです。

実はそのお店で海賊版のVHS(懐かしい!)で「〇田日明vs〇ンドレ・ザ・〇ャイアント」の幻の一戦を流してました。当然店主もプロレスに精通されていたのですが、ある日仲間と「誰が最強か!?」という果てしない議論をしたのですが、日本人を入れると終わらないということでガイジンで最強は!?という楽しい飲み会をやりました。結論は…スコット・ノートンでした(^_^;)。

参考までに店主に誰が最強か?と問うと何と「木戸修」と即答したのです!!

木戸推しのJTは、仮にそう思ったとしても口に出すことはなかったのですが、お店を出すほどのベテランマニアが即答したのでそれはそれは嬉しかったのです(^_^;)。

実は地味で負け役も多かった木戸ですが、若手時代は藤原や長州とも確か50連勝、30連勝位していました(裏付け資料がヒットしませんが…)。「関節技」というと=藤原組長!というイメージが強いですが、そんな藤原をしても歯が立たなかった実力者です。ただ藤原や長州がブレイクしてからはそうもいかなくなりましたし、後にへなちょことバレたウルトラマンの初来日初戦にも負け役になっていました。神様ゴッチに従ってUWFへ行って、その実力を知らしめましたし、新日に戻って「キドクラッチ」でIWGPタッグ王者になった試合は鮮烈でした。

そんな地味な木戸選手ですが、少年JTが蔵前国技館の大会の休憩時間にリングサイドに行くと、そこに木戸選手がいて「ファンです」と握手を求めたら「後でね」と…(~_~;)。「後でっていつだよぉ~っ!」いう塩対応でした。正直そんなに人気がないのに(失礼!)断るなんて、随分だなぁと思いましたがもちろん「後」は来ませんでした。

横浜文体での引退試合も仕事仲間とわざわざ横浜市内の顧客にアポを入れはせ参じましたが、その顧客は根っからの全日派でした(^_^;)。幼い木戸愛(現プロゴルファー)を抱きかかえた引退セレモニーを見て、少しウルっときたのを覚えてます。

まぁその後ハッスルとか新日マット以外でスポット参戦されましたが、レスラーあるあるですね(^_^;)。けどいつも変わらず渋いファイトでした。

そんな木戸選手がお亡くなりになったそうです(T_T)。

新日50周年や猪木の葬儀にも顔を出さなかったので、随分冷たいなぁと思っていましたが、実は闘病生活を送っていたようですね…。健康管理には人一倍気を使っていたように思いますが、病には勝てなかったということでしょう。

いつも髪型が乱れぬダンディないで立ちでしたが、晩年は白髪になって、文字通り「いぶし銀」になっていました。

享年73歳。突然の訃報でビックリです。

ご冥福お祈り申し上げますm(_ _)m。






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