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久々に追悼

英国ではキャサリン妃が女児を出産され、やれ「その日に退院した」「名前は何だろう?」と世界中の注目を集めました。結局ミドルネームに“ダイアナ”がつくものの「シャーロット」ちゃんに決まりました。
早速その名前をお猿につけた某国の動物園がありましたが(^_^;)、さすがに撤回したそうですね。

そんな中、プロレス界では大物が2人も亡くなりました。
バーン・ガニアと阿修羅原です。
故ガニア氏はAWAの総帥で、選手兼プロモーターとしてAWAをNWA、WWWF(⇒WWF⇒現WWE)と猪木が獲得する前のNWFと並ぶ世界4大タイトルに押し上げた団体の顔で、選手としても「AWAの帝王」の名を欲しいままにしていました。G馬場の3,000試合の相手をしたり日本にも縁がありました。
一方の故原選手は天龍のタッグパートナーとしてラグビー仕込みのタフガイぶりで人気を博しました。
実はこの2人、意外と共通点があります。
AWAは全日本のリングで知名度が上がりましたが(その後は新日本とも提携)、当初の提携先は国際プロレスです。
故原選手もデビューしたのはストロング小林が新日に移籍し、ラッシャー木村、グレート草津、アニマル浜口、マイティー井上ら個性的な選手が主力の地味な国際プロレスでした。そこにスター性のある故原選手が入団し、野坂昭如氏に「阿修羅」の名前を命名してもらったのでした。当時は「変な名前だなぁ」と思ったものですが、段々馴染んでいったのです。
そんなこの2人、実は1979年11月の長野県諏訪大会でシングルマッチを戦っており、ヘビー級のガニアに対しジュニアヘビー級の原は真っ向勝負を挑み、名勝負を繰り広げたようです。
年齢も階級(原はその後ヘビー級へ転向)も国籍も違いますが、国際プロレスから全日本に活躍の場を移し、そして(日本時間で)同じ日に旅立たつという共通点を持つ2人でした。
享年89歳と長生きされた故ガニア氏と天龍引退イヤーに68歳で亡くなられた故原選手。
ご冥福をお祈り申し上げますm(__)m。

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