10.9.3 後楽園大会観戦記
2010.9.3 G1 CLIMAX SPECIAL 後楽園ホール
夏が終わった。G1の夏が・・・。けどとっても暑い!
私事、8月末に少々遅めの夏休みを取って、海外へ行ってきた。何故この時期かというと、お盆はG1があるので国外脱出はできないからである(嘘ですよ!夫婦共月半ばより仕事的に休みやすいので)。
G1のレポートは正に出発前日の夜に送付した次第。なので若干はしょった感があったかと思うがお許しを。
帰国は9月1日朝だった。そう、3日後楽園観戦のためには1日には体調整えるために帰国したい、と行き先よりもまず日程(と予算)が決まった。
そう、丁度その間に大きな悲報が相次いだのである。
アントン・ヘーシンク、山本小鉄、初代横綱若乃花である。
いずれも格闘技業界の大物ということで、それぞれへの思いを記して故人を偲ぼうかと思う。
まずヘーシンク。
言わずと知れた柔道界の大物であり、日経新聞でも2日間に渡って記事になった人物である。こと日本柔道界からすると無差別級の初代五輪王者でしかも東京五輪の王者である。坂口征二によると、自分がようやく倒せるという時に突如引退してしまって、結局リベンジし損なった“勝ち逃げ王者”ということなのか。
先日の東スポにロス五輪金メダリストの山下泰裕氏の特集があったが、あの足を引きずりながらの感動の金メダル獲得で引退してもよかったが、自分を倒すことを目標にしてきた斉藤仁の挑戦を受けないで引退するでは斉藤の気持ちを考えたらできない、と五輪から8ヶ月後の全日本選手権まで頑張ったとのことである。
これは暗にヘーシンクのように“勝ち逃げ”したくない、ということだったのだろうか。
そのヘーシンクは後に全日本プロレスに登場した。確か日本側の助っ人だったが、ほぼ名前だけでパッとしないままやめていった。TVで何度か見たが、でかかった印象が残っている。
そして小鉄。
今回の観戦は社内メンバーで“仕事帰りに後楽園”のチャンスだったことで、何てこともない普通の大会を承知で決行したのだが、その後メインがジュニア王座戦となり主催者(私)としては役員以下お誘いした手前、少しホッとした。が、何とその大会がまさか小鉄さんの追悼大会になろうとは・・・。
実はG1開幕戦の8月6日、後楽園ホールのエレベーター待ちをしていたところ、駐車場側から小鉄さんが歩いてきた。誰がどう見ても小鉄さん以外の何者でもない訳だが、ファンは無視!私は条件反射的に右手を出して握手をした。「おっ、こんな並んでんのか」と言うので「良かったら」と私の前に横入りを促したが、「いいよ」と断られた。その列の最後に並ばれたのかは定かではないが、小鉄さんの性格からすると横入り何て受け入れられる訳もない、曲がったことが大嫌いなお方であった。
それが私と小鉄さんの最後の会話であった(というほどの間柄ではなかったが・・・)。
最後は初代若乃花。
私は初代大関貴ノ花の大ファンであった。小学生当時はまだプロレスより相撲派だった私は、あらゆる相撲の雑誌を読んで、生まれる前の相撲の歴史も結構勉強したものだ(その分普通の勉強がおろそかに…)。
貴ノ花派だったこともあり、当然実兄の初代若乃花にも強い興味をもった。そう、栃若時代の“名横綱”である。
実は私のこのレポートを昔から呼んで頂いている方はご承知のことと思うが、私の考える“プロ格闘技”の原点は、この初代若乃花とウルトラマンである。
それは第1回PRIDEグランプリ大会を見に行った時のこと。アンチ総合、アンチK-1の私としても藤田や桜庭が出ることもあり、あえて見に行った。そう、あの桜庭とホイス・グレイシーの90分試合の日である。
TVで見ている分には細かい動きや表情も分かるし、必要以上にアナウンサーや解説者がしゃべるので、終わった瞬間も場内興奮のるつぼ的に映っていたが、場内の大半は「やっと終わったー!」と大拍手をしたのであった。毎ラウンド毎ラウンド、ほぼ同じ体勢(ガードポジション)で動きもない。そんなのを90分見せられた訳だから、見ている方も飽きてしまう。確か大型スクリーン位はあったろうが、TVの方がよっぽど緊迫感があった。プロレスラーの桜庭は仕方がないかのようにニヤけたり、ホイスをコマ回ししたり、飛び越えたりしてみせた
が、そんなのを見たい訳ではないのだが。また、プロレスよろしく試合前にはお互いの罵り合いのVTRが流れ、概してテーマ曲をきっちり流してパフォーマンスして時間をかけて入場する。プロレスより丁寧な扱いだ。が、肝心な試合がそれらより短く「えっ、もう終わり?」とか、まだ戦えるのにストップしてしまう。けど次の試合は数ヶ月後…。
入場シーンよりも戦いの内容で“魅せ”るのがプロってもんだろう。
そこで初代若乃花。彼は当時も一際小兵力士で大型力士を投げ飛ばしまくった訳だが、決め技が今や誰もやらない「呼び戻し」とか「揺り戻し」または「仏壇返し」といわれる大技だ。これは、土俵際まで押し込まれ=呼び込んで、相手が腰高になったところを強靭な腰と腕の力で反動で返す、というもので、ものの見事に相手はひっくり返る技だ。
つまりカラータイマーが“ピコンピコンピコン…”と鳴り続け大ピンチのウルトラマンが、最後に反撃してスペシューム光線で大逆転勝ちをするのと似ている(えっ?私だけ?)。
そこに人々は感動したのである。小さい力士が大男を投げ飛ばす、これぞ格闘技、いや無差別級格闘技の醍醐味である。「体が小さくても強くなれるんだ」「小さいけど努力すれば大男を倒せるんだ」「小さいけどかっこよくなれるんだ」という日本人がもつコンプレックスを跳ね返すお手本だった訳だ。これぞ“プロ”である。
相撲を通して人生哲学を感じ、男の美学を感じる。「俺もがんばらなきゃ」と勇気をもらう。少年少女は夢を持つ。「正義は勝つ」「努力は報われる」「人間辛抱だ」…。情操教育上とても大事なことだと思う。
この戦い方、魅せ方はプロレスに通じる(ウルトラマンにも通じる:笑)。「あっ、負けちゃう。頑張れ!粘れ!」と必死に手に汗握って応援して、最後に願いが通じたかのごとく大逆転勝ち(に見えるだけだが)する。
つまりプロレスは人間を育てるのだ!(と本当に社員教育や家族教育をした女性がいたようだ。偉い!)
が、何故初代若乃花がそこまで“プロ格闘家”になったのか?
実は、何を隠そう(私が隠してた訳でも何でもないが)彼は“日本プロレスの祖”力道山の愛弟子だったからである。もちろん力士時代の力道山の後輩だったということだが、その精神を受け継いでいたからそういう戦い方をするようになったかは今では確認のしようもない謎になってしまったーーー。
話は戻そう。
現在自宅に溜まった東スポを読んでいる。以前は坂口が週1で手記を書いていたが、今読み返している6月下旬~7月上旬は小鉄さんの連載(月~木)である。ご本人執筆の割りに自身を持ち上げた感はあるが、内容は実に興味深い。この連載のお陰で滞ってしまったのも事実だが、追悼大会後に読み返すことになろうとは、何かの因縁を感じてしまう。
当日、観戦者に関わらず献花台を用意するというので、是非お供えしようと出かけたが、お花は自前で用意しないとならなかったようで、献花台の大きな遺影に手を合わせるだけだった。
考えてみれば後楽園ホールの狭いエレベーターホールに献花台を置くだけでも無理があるのに、花まで用意できるはずもないよな…小鉄さん、ごめんなさい。私はこの夏久々のネクタイ着用で会場入りした。そう、黒ネクタイ。
今回の席は“正面”南側の“A列”である。いわゆるパイプ椅子席の後ろでホールの固定椅子の一番前の席である。しかもTV解説席(テレ朝ではなくサムライTV)のすぐ後ろである。今までで一番リングが近いが、正直前過ぎてやや上目使い視線になる位置である。
そういう訳でこの日の追悼大会は小鉄一色。
大きな大会でよくやる“第0試合”が何故かあったが(三上vs高橋≠裕二郎)、小鉄さんの弟子ではないが指導を受けたことがあるようだ。その後に遺族と坂口相談役がリングに上がり、10カウントゴング。
リング下には新日戦士が並んだ。天山の姿もあった。
所属選手は腕に黒い喪章(テーピング?)を巻いて試合をしていた。また、試合の合間に小鉄さんのVTRが流れる演出。試合後に遺影に手を合わせる選手もいた(しない選手も多かった!)。
メイン終了後、そそくさと帰路に席を立とうとした直後、場内の照明が暗くなり何故かサザンの“旅姿六人衆”が流れ、スクリーンに小鉄さんの数々のシーンが映し出される。まだまだお亡くなりになった実感はないが、場内から「こってっつっ、こってっつっ」とコールが沸くと、何だかウルッときたのは私だけだろうか…?
今回は社内“六人衆”(わぉ、偶然!今気付いた!)の観戦だったが、お決まりの反省会も盛り上がった。
約2名、大幅に遅刻したが、十分楽しめたご様子で。
やはり人数が集まって観戦するのは楽しいものだ。その後の反省会もより楽しいものだ。
そう何度も開催されない“平日後楽園”・・・何のことはない、10月のもあるようだ。
行く人います?企画しますよ!
どなたでもどうぞ。来るもの拒まずの“小鉄イズム”でお待ちしてます(笑)。
≪試合結果≫
【第1試合】 長州、●タイチ、平澤vs中西、○タマ・トンガ、キング・ファレ
新日戦士は黒い喪章代わりのテーピングのようなものを巻いて登場。第0試合後とはいうもののいきなり第1試合に長州が登場。相手には中西がいる。
大将格の長州はコーナー待機が多かったが、目線は下を向いて哀愁が漂っている。久々にちゃんと裏返すサソリ固め、ラリアットを披露するが何だか寂しそう。これも小鉄さん追悼大会だからか?
一方中西もアルゼンチンや大☆中西ジャーマンは出さないものの、ミサイルキックや「ホーッ」の雄たけびで手を抜いていないことを示している。目の肥えた後楽園だからか、小鉄さんの追悼だからだろうか…。試合は久々に登場しマスクマン姿で張り切るタイチをジャックハマーでトンガが押さえ込んだ。
試合後、中西組は小鉄さんの遺影の前で一礼(その写真が週プロに出てて私らも載っていた)。
【第2試合】 ●金本、タイガー、田口vs○リチャーズ、邪道、外道
“邪道復帰戦”ということで、邪道に声援が集まる。プロレスファンは優しいね!
相手は先日NOAHのジュニアタッグ王座を強奪した金本・タイガーに、デヴィットとIWGPジュニアタッグ王座に君臨する田口の王者トリオだ。田口も一時期ジュニアを牽引していたが、デヴィットに随分水を開けられた。金本とタイガーのコンビはある意味反則だが(強い、という意味で)、丸藤に仕切られた上半期のジュニアマットを巻き返す役目がある。
ジュニアの6人タッグ戦らしくリチャーズのフライング弾、田口の三角跳び、タイガーWキック、金本アンクルと目まぐるしい攻防。外道は相変わらずのオーバーリアクション。リチャーズ雪崩式ブレーンバスターからキック、パワーボムとつないでジュニアのカリスマから金星ゲット。王者トリオ敗れる!
【第3試合】 バーナード、○アンダーソンvs飯塚、●石井
入場時からバーナードをやたらと警戒し客席を荒らす飯塚。これはこれでファンサービス。
試合中もパイプ椅子席の角に座っている女性客の椅子を取り上げたり、連続でカウント19まで場外避難を繰り返す。すっかりヒールが板に付いている。タッチロープで首絞めに出るとバーナードも真似してタッチロープを持つが首絞めは未遂に。バーナード、2人にコーナープッシュからコーナープレス炸裂。
一方石井はコーナートップから背筋で持ち上げるブレーンバスター決めるが、飯塚のアイアンフィンガーが不発に終わりカウンターのガンスタンで現役タッグ王者が強さを見せた。
【第4試合】 本間vs○小島
元全日本同士の一戦。しかも本間は元付き人だったらしい。方やG1覇者、方や参戦漏れ。本間は意地を見せたいところ。真っ黒でテカテカのボディからチョップ、ブレーンバスター放つが小島も無言エルボー、コジコジカッターで追い込む。本間ダウンから蘇生して張り手、ラリアット、フライングヘッドパット放つもそこまで。サポーターを放り投げたラリアットで小島完勝。
さすがに小島もつまづいてはいられない。9.26神戸大会のIWGP戦勝者に10.11両国で挑戦する。神戸じゃなくて両国のメインを任された訳だ(昔だと10月ドームのメイン…)。確かに人気も実力もいい感じではあるが、(満員)位の動員ができるかどうか。
【第5試合】 ○永田、井上vs●高橋、内藤
青義軍結成1周年シリーズの開幕戦。相手は上半期にバッドインテンションズ(バーナード&アンダーソン)とタッグ戦線を三つ巴でしのぎを削ったNO LIMIT。「負けたら解散しろ」と悪態をつかれては負けられない。
青義軍は序盤高橋を攻め込むが、強烈なビンタで永田がフラフラに。どっかで見たシーンだと思ったらG1最終戦だ。後輩(日体大レスリング部)に張られて目の焦点が飛んでいたが、そこは策士永田である(というのがプロレス的な見方かと)。しかし場外でコードで首をぐるぐる巻きの追い討ちを受ける。井上が2人を蹴散らしトライアングルランサーで内藤を捕らえる。復活した永田はキック、エルボー放つが再びビンタを食らうも今度はやり返す。雪崩式ブレーンバスターから内藤の痛めた膝を逆エビに。最後は井上のアシストを受け悪態つく高橋をバックドロップホールドで完勝。
試合後マイクで「青義軍も1年経った」というので解散か?と思いきやタッグタイトル挑戦を表明。その場で王者組を呼ぶも「日本語じゃ通じないか」と英語で呼び寄せアピールし受諾させた。
今日はやはり追悼大会だからか、白目披露はなしだった。
【第6試合】 真壁、棚橋、●後藤vs○中邑、矢野、田中
一人ずつ入場。真壁の“移民の歌”が鳴るや棚橋がエアギターで乗っていた。もう真壁はすっかり正規軍なのか。因みにG1で売られていたうちわを買った。G1の時は中邑、棚橋が売り切れていたが、この日はあったので中邑のを買ったが、王者真壁は“GBH”バージョンで本間とのツーショットしかない。自称“スーパースター”もそんな扱いだ。中邑組のトリは真壁へ挑戦する外敵田中だ。試合はその2人で開戦。序盤の場外乱戦を機に棚橋が捕まる。どうにか真壁につなぐも田中の猛攻に合う。存在感の薄くなってしまった後藤は中邑を追い込むが、場外では田中が真壁相手に優勢。首にパイプ椅子をかけた状態で別の椅子で鉄柱に打ち付け真壁グロッキーに。
リング上で優勢だった後藤も最後詰め切れずボマイエを被弾し正規軍最強トリオが敗れた。
試合後真壁は小鉄さんの遺影の前の鉄柵に自分のチェーンで首を巻かれダウンしたまま。リング上も正規軍がやられていたが、そこへTAJIRIが棚橋の助けに入った。ちょっと遅いんじゃ?
因みに今日も北側後方に“赤シャツ軍団”が陣取っていたが、この日は“ゴーゴータナハシヒロシ”コールは出なかった。やはり追悼大会だからか?或いは意外と流行らなかったから止めたのか?
【第7試合】 IWGPジュニア戦 ○デヴィットvsケニー・オメガ
小鉄さん追悼大会の締めはタイトル戦となった。が、ガイジン同士の一戦。どうやらメインがガイジン同士というのはかなり珍しいようだ(確かに記憶にない)。まるで大相撲みたい…。
オメガはDDT所属のハチャメチャ系戦士。軽快に試合が進むが先に場外へ飛んだのはオメガだ。なかなかの跳躍で客席で得意気に。が、すぐさま王者も客席の椅子から飛んでお返し。どうせならこっち側でやって欲しかったが、小鉄さんの遺影の周辺でそれはできないか…。
その後もオメガ優勢でカナディアンに担いでファンにアピールするがデヴィットもノータッチトペをやり返す。頭突き、ボディアタック、ウラカンラナ、ハイキックと王者をテンポよく追い込み、どうやら必殺技らしいクロイツラスはデヴィットが嫌った。コーナーから後ろ向き、すぐさま正調式フットスタンプ連発で自分のペースにすると、延髄キックから必殺ブラッディサンデーで激闘を制した。垣原からベルト返還。リングに田口と飯伏が上がりジュニアタッグタイトル戦を約束した。
それにしてもこの“青い目の新日戦士”は将来どうなることか。体格的にヘビー級転向は無理だろうし。WWEとかに引き抜かれてしまうのか?しかし本人は「小鉄さんにいい試合を見せられて良かった」と日本人的な泣かせるコメントをしている。
金本&タイガーがGHCタッグ、ライガーがメキシコCMLLと反撃してきた新日ジュニア。その中心はやはり“レッツゴーデービー”だ。
あれ?ヘビー級も頑張れ!
以上
夏が終わった。G1の夏が・・・。けどとっても暑い!
私事、8月末に少々遅めの夏休みを取って、海外へ行ってきた。何故この時期かというと、お盆はG1があるので国外脱出はできないからである(嘘ですよ!夫婦共月半ばより仕事的に休みやすいので)。
G1のレポートは正に出発前日の夜に送付した次第。なので若干はしょった感があったかと思うがお許しを。
帰国は9月1日朝だった。そう、3日後楽園観戦のためには1日には体調整えるために帰国したい、と行き先よりもまず日程(と予算)が決まった。
そう、丁度その間に大きな悲報が相次いだのである。
アントン・ヘーシンク、山本小鉄、初代横綱若乃花である。
いずれも格闘技業界の大物ということで、それぞれへの思いを記して故人を偲ぼうかと思う。
まずヘーシンク。
言わずと知れた柔道界の大物であり、日経新聞でも2日間に渡って記事になった人物である。こと日本柔道界からすると無差別級の初代五輪王者でしかも東京五輪の王者である。坂口征二によると、自分がようやく倒せるという時に突如引退してしまって、結局リベンジし損なった“勝ち逃げ王者”ということなのか。
先日の東スポにロス五輪金メダリストの山下泰裕氏の特集があったが、あの足を引きずりながらの感動の金メダル獲得で引退してもよかったが、自分を倒すことを目標にしてきた斉藤仁の挑戦を受けないで引退するでは斉藤の気持ちを考えたらできない、と五輪から8ヶ月後の全日本選手権まで頑張ったとのことである。
これは暗にヘーシンクのように“勝ち逃げ”したくない、ということだったのだろうか。
そのヘーシンクは後に全日本プロレスに登場した。確か日本側の助っ人だったが、ほぼ名前だけでパッとしないままやめていった。TVで何度か見たが、でかかった印象が残っている。
そして小鉄。
今回の観戦は社内メンバーで“仕事帰りに後楽園”のチャンスだったことで、何てこともない普通の大会を承知で決行したのだが、その後メインがジュニア王座戦となり主催者(私)としては役員以下お誘いした手前、少しホッとした。が、何とその大会がまさか小鉄さんの追悼大会になろうとは・・・。
実はG1開幕戦の8月6日、後楽園ホールのエレベーター待ちをしていたところ、駐車場側から小鉄さんが歩いてきた。誰がどう見ても小鉄さん以外の何者でもない訳だが、ファンは無視!私は条件反射的に右手を出して握手をした。「おっ、こんな並んでんのか」と言うので「良かったら」と私の前に横入りを促したが、「いいよ」と断られた。その列の最後に並ばれたのかは定かではないが、小鉄さんの性格からすると横入り何て受け入れられる訳もない、曲がったことが大嫌いなお方であった。
それが私と小鉄さんの最後の会話であった(というほどの間柄ではなかったが・・・)。
最後は初代若乃花。
私は初代大関貴ノ花の大ファンであった。小学生当時はまだプロレスより相撲派だった私は、あらゆる相撲の雑誌を読んで、生まれる前の相撲の歴史も結構勉強したものだ(その分普通の勉強がおろそかに…)。
貴ノ花派だったこともあり、当然実兄の初代若乃花にも強い興味をもった。そう、栃若時代の“名横綱”である。
実は私のこのレポートを昔から呼んで頂いている方はご承知のことと思うが、私の考える“プロ格闘技”の原点は、この初代若乃花とウルトラマンである。
それは第1回PRIDEグランプリ大会を見に行った時のこと。アンチ総合、アンチK-1の私としても藤田や桜庭が出ることもあり、あえて見に行った。そう、あの桜庭とホイス・グレイシーの90分試合の日である。
TVで見ている分には細かい動きや表情も分かるし、必要以上にアナウンサーや解説者がしゃべるので、終わった瞬間も場内興奮のるつぼ的に映っていたが、場内の大半は「やっと終わったー!」と大拍手をしたのであった。毎ラウンド毎ラウンド、ほぼ同じ体勢(ガードポジション)で動きもない。そんなのを90分見せられた訳だから、見ている方も飽きてしまう。確か大型スクリーン位はあったろうが、TVの方がよっぽど緊迫感があった。プロレスラーの桜庭は仕方がないかのようにニヤけたり、ホイスをコマ回ししたり、飛び越えたりしてみせた
が、そんなのを見たい訳ではないのだが。また、プロレスよろしく試合前にはお互いの罵り合いのVTRが流れ、概してテーマ曲をきっちり流してパフォーマンスして時間をかけて入場する。プロレスより丁寧な扱いだ。が、肝心な試合がそれらより短く「えっ、もう終わり?」とか、まだ戦えるのにストップしてしまう。けど次の試合は数ヶ月後…。
入場シーンよりも戦いの内容で“魅せ”るのがプロってもんだろう。
そこで初代若乃花。彼は当時も一際小兵力士で大型力士を投げ飛ばしまくった訳だが、決め技が今や誰もやらない「呼び戻し」とか「揺り戻し」または「仏壇返し」といわれる大技だ。これは、土俵際まで押し込まれ=呼び込んで、相手が腰高になったところを強靭な腰と腕の力で反動で返す、というもので、ものの見事に相手はひっくり返る技だ。
つまりカラータイマーが“ピコンピコンピコン…”と鳴り続け大ピンチのウルトラマンが、最後に反撃してスペシューム光線で大逆転勝ちをするのと似ている(えっ?私だけ?)。
そこに人々は感動したのである。小さい力士が大男を投げ飛ばす、これぞ格闘技、いや無差別級格闘技の醍醐味である。「体が小さくても強くなれるんだ」「小さいけど努力すれば大男を倒せるんだ」「小さいけどかっこよくなれるんだ」という日本人がもつコンプレックスを跳ね返すお手本だった訳だ。これぞ“プロ”である。
相撲を通して人生哲学を感じ、男の美学を感じる。「俺もがんばらなきゃ」と勇気をもらう。少年少女は夢を持つ。「正義は勝つ」「努力は報われる」「人間辛抱だ」…。情操教育上とても大事なことだと思う。
この戦い方、魅せ方はプロレスに通じる(ウルトラマンにも通じる:笑)。「あっ、負けちゃう。頑張れ!粘れ!」と必死に手に汗握って応援して、最後に願いが通じたかのごとく大逆転勝ち(に見えるだけだが)する。
つまりプロレスは人間を育てるのだ!(と本当に社員教育や家族教育をした女性がいたようだ。偉い!)
が、何故初代若乃花がそこまで“プロ格闘家”になったのか?
実は、何を隠そう(私が隠してた訳でも何でもないが)彼は“日本プロレスの祖”力道山の愛弟子だったからである。もちろん力士時代の力道山の後輩だったということだが、その精神を受け継いでいたからそういう戦い方をするようになったかは今では確認のしようもない謎になってしまったーーー。
話は戻そう。
現在自宅に溜まった東スポを読んでいる。以前は坂口が週1で手記を書いていたが、今読み返している6月下旬~7月上旬は小鉄さんの連載(月~木)である。ご本人執筆の割りに自身を持ち上げた感はあるが、内容は実に興味深い。この連載のお陰で滞ってしまったのも事実だが、追悼大会後に読み返すことになろうとは、何かの因縁を感じてしまう。
当日、観戦者に関わらず献花台を用意するというので、是非お供えしようと出かけたが、お花は自前で用意しないとならなかったようで、献花台の大きな遺影に手を合わせるだけだった。
考えてみれば後楽園ホールの狭いエレベーターホールに献花台を置くだけでも無理があるのに、花まで用意できるはずもないよな…小鉄さん、ごめんなさい。私はこの夏久々のネクタイ着用で会場入りした。そう、黒ネクタイ。
今回の席は“正面”南側の“A列”である。いわゆるパイプ椅子席の後ろでホールの固定椅子の一番前の席である。しかもTV解説席(テレ朝ではなくサムライTV)のすぐ後ろである。今までで一番リングが近いが、正直前過ぎてやや上目使い視線になる位置である。
そういう訳でこの日の追悼大会は小鉄一色。
大きな大会でよくやる“第0試合”が何故かあったが(三上vs高橋≠裕二郎)、小鉄さんの弟子ではないが指導を受けたことがあるようだ。その後に遺族と坂口相談役がリングに上がり、10カウントゴング。
リング下には新日戦士が並んだ。天山の姿もあった。
所属選手は腕に黒い喪章(テーピング?)を巻いて試合をしていた。また、試合の合間に小鉄さんのVTRが流れる演出。試合後に遺影に手を合わせる選手もいた(しない選手も多かった!)。
メイン終了後、そそくさと帰路に席を立とうとした直後、場内の照明が暗くなり何故かサザンの“旅姿六人衆”が流れ、スクリーンに小鉄さんの数々のシーンが映し出される。まだまだお亡くなりになった実感はないが、場内から「こってっつっ、こってっつっ」とコールが沸くと、何だかウルッときたのは私だけだろうか…?
今回は社内“六人衆”(わぉ、偶然!今気付いた!)の観戦だったが、お決まりの反省会も盛り上がった。
約2名、大幅に遅刻したが、十分楽しめたご様子で。
やはり人数が集まって観戦するのは楽しいものだ。その後の反省会もより楽しいものだ。
そう何度も開催されない“平日後楽園”・・・何のことはない、10月のもあるようだ。
行く人います?企画しますよ!
どなたでもどうぞ。来るもの拒まずの“小鉄イズム”でお待ちしてます(笑)。
≪試合結果≫
【第1試合】 長州、●タイチ、平澤vs中西、○タマ・トンガ、キング・ファレ
新日戦士は黒い喪章代わりのテーピングのようなものを巻いて登場。第0試合後とはいうもののいきなり第1試合に長州が登場。相手には中西がいる。
大将格の長州はコーナー待機が多かったが、目線は下を向いて哀愁が漂っている。久々にちゃんと裏返すサソリ固め、ラリアットを披露するが何だか寂しそう。これも小鉄さん追悼大会だからか?
一方中西もアルゼンチンや大☆中西ジャーマンは出さないものの、ミサイルキックや「ホーッ」の雄たけびで手を抜いていないことを示している。目の肥えた後楽園だからか、小鉄さんの追悼だからだろうか…。試合は久々に登場しマスクマン姿で張り切るタイチをジャックハマーでトンガが押さえ込んだ。
試合後、中西組は小鉄さんの遺影の前で一礼(その写真が週プロに出てて私らも載っていた)。
【第2試合】 ●金本、タイガー、田口vs○リチャーズ、邪道、外道
“邪道復帰戦”ということで、邪道に声援が集まる。プロレスファンは優しいね!
相手は先日NOAHのジュニアタッグ王座を強奪した金本・タイガーに、デヴィットとIWGPジュニアタッグ王座に君臨する田口の王者トリオだ。田口も一時期ジュニアを牽引していたが、デヴィットに随分水を開けられた。金本とタイガーのコンビはある意味反則だが(強い、という意味で)、丸藤に仕切られた上半期のジュニアマットを巻き返す役目がある。
ジュニアの6人タッグ戦らしくリチャーズのフライング弾、田口の三角跳び、タイガーWキック、金本アンクルと目まぐるしい攻防。外道は相変わらずのオーバーリアクション。リチャーズ雪崩式ブレーンバスターからキック、パワーボムとつないでジュニアのカリスマから金星ゲット。王者トリオ敗れる!
【第3試合】 バーナード、○アンダーソンvs飯塚、●石井
入場時からバーナードをやたらと警戒し客席を荒らす飯塚。これはこれでファンサービス。
試合中もパイプ椅子席の角に座っている女性客の椅子を取り上げたり、連続でカウント19まで場外避難を繰り返す。すっかりヒールが板に付いている。タッチロープで首絞めに出るとバーナードも真似してタッチロープを持つが首絞めは未遂に。バーナード、2人にコーナープッシュからコーナープレス炸裂。
一方石井はコーナートップから背筋で持ち上げるブレーンバスター決めるが、飯塚のアイアンフィンガーが不発に終わりカウンターのガンスタンで現役タッグ王者が強さを見せた。
【第4試合】 本間vs○小島
元全日本同士の一戦。しかも本間は元付き人だったらしい。方やG1覇者、方や参戦漏れ。本間は意地を見せたいところ。真っ黒でテカテカのボディからチョップ、ブレーンバスター放つが小島も無言エルボー、コジコジカッターで追い込む。本間ダウンから蘇生して張り手、ラリアット、フライングヘッドパット放つもそこまで。サポーターを放り投げたラリアットで小島完勝。
さすがに小島もつまづいてはいられない。9.26神戸大会のIWGP戦勝者に10.11両国で挑戦する。神戸じゃなくて両国のメインを任された訳だ(昔だと10月ドームのメイン…)。確かに人気も実力もいい感じではあるが、(満員)位の動員ができるかどうか。
【第5試合】 ○永田、井上vs●高橋、内藤
青義軍結成1周年シリーズの開幕戦。相手は上半期にバッドインテンションズ(バーナード&アンダーソン)とタッグ戦線を三つ巴でしのぎを削ったNO LIMIT。「負けたら解散しろ」と悪態をつかれては負けられない。
青義軍は序盤高橋を攻め込むが、強烈なビンタで永田がフラフラに。どっかで見たシーンだと思ったらG1最終戦だ。後輩(日体大レスリング部)に張られて目の焦点が飛んでいたが、そこは策士永田である(というのがプロレス的な見方かと)。しかし場外でコードで首をぐるぐる巻きの追い討ちを受ける。井上が2人を蹴散らしトライアングルランサーで内藤を捕らえる。復活した永田はキック、エルボー放つが再びビンタを食らうも今度はやり返す。雪崩式ブレーンバスターから内藤の痛めた膝を逆エビに。最後は井上のアシストを受け悪態つく高橋をバックドロップホールドで完勝。
試合後マイクで「青義軍も1年経った」というので解散か?と思いきやタッグタイトル挑戦を表明。その場で王者組を呼ぶも「日本語じゃ通じないか」と英語で呼び寄せアピールし受諾させた。
今日はやはり追悼大会だからか、白目披露はなしだった。
【第6試合】 真壁、棚橋、●後藤vs○中邑、矢野、田中
一人ずつ入場。真壁の“移民の歌”が鳴るや棚橋がエアギターで乗っていた。もう真壁はすっかり正規軍なのか。因みにG1で売られていたうちわを買った。G1の時は中邑、棚橋が売り切れていたが、この日はあったので中邑のを買ったが、王者真壁は“GBH”バージョンで本間とのツーショットしかない。自称“スーパースター”もそんな扱いだ。中邑組のトリは真壁へ挑戦する外敵田中だ。試合はその2人で開戦。序盤の場外乱戦を機に棚橋が捕まる。どうにか真壁につなぐも田中の猛攻に合う。存在感の薄くなってしまった後藤は中邑を追い込むが、場外では田中が真壁相手に優勢。首にパイプ椅子をかけた状態で別の椅子で鉄柱に打ち付け真壁グロッキーに。
リング上で優勢だった後藤も最後詰め切れずボマイエを被弾し正規軍最強トリオが敗れた。
試合後真壁は小鉄さんの遺影の前の鉄柵に自分のチェーンで首を巻かれダウンしたまま。リング上も正規軍がやられていたが、そこへTAJIRIが棚橋の助けに入った。ちょっと遅いんじゃ?
因みに今日も北側後方に“赤シャツ軍団”が陣取っていたが、この日は“ゴーゴータナハシヒロシ”コールは出なかった。やはり追悼大会だからか?或いは意外と流行らなかったから止めたのか?
【第7試合】 IWGPジュニア戦 ○デヴィットvsケニー・オメガ
小鉄さん追悼大会の締めはタイトル戦となった。が、ガイジン同士の一戦。どうやらメインがガイジン同士というのはかなり珍しいようだ(確かに記憶にない)。まるで大相撲みたい…。
オメガはDDT所属のハチャメチャ系戦士。軽快に試合が進むが先に場外へ飛んだのはオメガだ。なかなかの跳躍で客席で得意気に。が、すぐさま王者も客席の椅子から飛んでお返し。どうせならこっち側でやって欲しかったが、小鉄さんの遺影の周辺でそれはできないか…。
その後もオメガ優勢でカナディアンに担いでファンにアピールするがデヴィットもノータッチトペをやり返す。頭突き、ボディアタック、ウラカンラナ、ハイキックと王者をテンポよく追い込み、どうやら必殺技らしいクロイツラスはデヴィットが嫌った。コーナーから後ろ向き、すぐさま正調式フットスタンプ連発で自分のペースにすると、延髄キックから必殺ブラッディサンデーで激闘を制した。垣原からベルト返還。リングに田口と飯伏が上がりジュニアタッグタイトル戦を約束した。
それにしてもこの“青い目の新日戦士”は将来どうなることか。体格的にヘビー級転向は無理だろうし。WWEとかに引き抜かれてしまうのか?しかし本人は「小鉄さんにいい試合を見せられて良かった」と日本人的な泣かせるコメントをしている。
金本&タイガーがGHCタッグ、ライガーがメキシコCMLLと反撃してきた新日ジュニア。その中心はやはり“レッツゴーデービー”だ。
あれ?ヘビー級も頑張れ!
以上