【番外編】 地理学者的メキシコマット概論

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これはJTの会社の「メキシコ視察出張」(10月19日出発)での出来事である。
グループの様々な分社・部場から自動車関係の営業や技術、スタッフ部門が20名強集まり、役員の引率で顧客訪問しながらメキシコの3都市を訪問した。現地では大型バスを貸し切り現地の日本人女性ガイドさん同行で旅は進んだのである。
メキシコと言えば…そう、ルチャリブレ!。国民的スポーツ故、いつかはガイドさんも話題にするだろうと思っていた。また初日の食事の場で、副団長さんの口からどこからか嗅ぎつけたのか「JTはプロレスに詳しいんですよ」と公表されていたのである(但し“ミスターJT”の存在を知る者はいない)。
旅は段々メキシコシティへ向かって進んで行く。そんなある日とうとうガイドさんから「ルチャリブレ」という単語が発せられたのである。当たり障りのない一般向けの説明をたどたどしく始めてサラッと終わらそうとしたのであるが、その最後が問題だった。
「サントスっていう有名なレスラーがいました」
…これはまずい!今回、いや今後訪墨する日本国民に、このガイドさんはメキシコでは許されない間違えを言い続けてしまうだろう…。これは国際問題にもなりかねない。

ということで、昼食後に「JTが解説します!」と宣言し、マイクを取ったのである。

*************************以下、ほぼ原文のまま。
え~っ、心臓の悪い方がいらっしゃったら心の準備をしてくださいね。
「元気ですか~っ!元気があれば何でもできる」
…と国会で大声出して怒られたのはアントニオ猪木議員ですが、今ここに猪木さんがいたらこう続けるんでしょうね。
「元気があればメキシコに視察に来れる」
ところで皆さんは元気ですか?
JTは夜の2時半から目が覚めてしまいましたので、眠くて疲れていますが、時差ボケやら寝不足やら移動疲れやら、それと標高が高いのも体力を消耗しているんでしょうね。それとJTの場合、幸い食べ物やお酒は美味しいんですが、辛いのが苦手、パクチーも苦手、コーヒーも少々苦手…。ついでに英語も化学も苦手で…。あっ、ここは笑っていただくところなんですがね。いや、化学が苦手は笑えないところでしょうか。
*メキシコ料理は辛くない食材も辛い付け合せと食べさせたり、所々に微妙にパクチーが散りばめられたり、紅茶はなく食後は毎回コーヒーです。
*視察団にも日本語を話せない米国人が3名おり、訪問先も欧米系大手があり、要所要所で英語なのである。

そんなJTの専門は、大学では教育学部で小中高の教員免許を持っており、選考は地理学です。「地理学」は皆さんが中学高校で学んだ「地理」とは似て非なるもので、地図帳は一切見ませんし地名を覚えることもありません。そしてJTはこの会社で恐らく唯一の「日本地理学会正会員」であります。
まぁ今の仕事には全く活かされませんし、逆に会社はJTのことを全く有効に活用していないんではないかと思いますが、(団長の役員)さん、(副団長)さん、よろしくお願いしたいと思います。

ということで今日は地理学者JTによるメキシコプロレスについて解説したいと思います。

まずメキシコというと、サボテンやテキーラと並んで「タバスコ」ってイメージがあると思いますが、タバスコって何の名前か分かりますか?
(ガイドさんが小声で「地名」と)
そうです、地名なんですね。確かユカタン半島の方の州の名前だと思いますが、そこで採れた唐辛子で作った調味料ということかと思います。ここで問題です。そのタバスコを日本に最初に輸入した人は誰でしょう?
(どこからかアントニオ猪木と)
えっ、誰ですか?アントニオ猪木?…いい答えですね。けど答えは「ブーッ」です。答えは戦後に進駐軍が持ち込んでいたそうです。けど古いプロレスファンや相当詳しいプロレスファンも皆「猪木」と答えるんですが、それは1970年代に猪木の副業の会社の「アントントレーディング」という会社が独占輸入販売権を持ち、猪木もTVのCMに出ていたということで、「日本にタバスコを広めた人」ということでしょうか。
そこでポイント。
「日本に最初にタバスコを輸入した人はアントニオ猪木である…というのは間違えである」
ということを覚えておくと良いでしょうね。
因みに昨日「アンガス牛」について話が出ていましたが、やれ米国だ、いやアルゼンチンだと言ってましたが、地理学者JTとしては違和感があったので調べましたらスコットランドの地名でした。
…あっ、言っておきますけど大学の地理学のゼミや日本地理学会では全くそういうこと(タバスコやら牛やら)はやっていませんのでね、誤解のないようにお願いします。

と全くプロレスと関係なくなってしまいましたが、そろそろ本題に入ります。

メキシコは日米と並ぶ、プロレスの世界3大マーケットの1つです。
日本でプロレスファンというと、昔は太陽にほえろや金八先生の裏で常に視聴率20%以上の人気番組で、JTは今年で50歳ですが、50前後、それ以上の男子は大概見ていた人気スポーツだった訳ですが、最近は「へ~ぇ、まだプロレス見てるんだ?」とか、今も若干感じておりますが冷たい視線を浴びたりしております。最近は少し盛り返してきましたし、うちの会社にはプロレス同好会もありますので安心していただけますが、日本のファンからするとメキシコは羨ましいですね~。サッカー、闘牛とプロレスが3大スポーツだそうです。まぁ闘牛は「やる方」ではなく「見る方」なんでしょうけど、あっ、プロレスも見る方なんでしょうけど、小さなお子様からお年寄りまで普通に見るスポーツなんです。

そんなメキシコのプロレスは、ガイドさんも言っていましたが「ルチャリブレ」と言い、男子レスラーのことは「ルチャドール」、女子レスラーは「ルチャドーラ」と言います。
では問題です。最も有名なルチャドール、メキシコのレスラーは誰でしょうか?
(ガイドさんが小声で「サントス」と…)
ん?では〇〇さん。
「マスカラス!」
…マスカラス、いいお答えですが「ブーッ」なんですね。
けどせっかくなのでマスカラスについて説明します。

マスカラスは名曲「スカイハイ」に乗って颯爽とリングに登場し、オーバーマスクを華麗に客席に投げ入れるパフォーマンスで人気を博しましたが、今思うとオーバーマスクは600円位の安いマスクなのか、3万円する試合用の高いマスクだったのか気になりますね。またマスカラスは「仮面貴族」とも呼ばれていました。
*メキシコではプロレスのマスクが普通に土産屋で売られていますが、お土産用の安い生地のもの(600~800円位)から試合用の高いものまで何段階かあります。
では問題です。
その仮面貴族に並ぶ有名なニックネーム、キャッチフレーズは何でしょうか?これを答えた方はお友達になりたいですが…「〇〇を持つ男」ですが、分かりませんか?
…時間の関係で答えを言いますと、「千の顔を持つ男」なんですねぇ。
「千の顔~?」
そんなねぇ…昔「千手観音」っていう人はいましたけど、「千の顔」は無いですよね?多分「千のマスクを持つ男」が正しいんでしょうけど、本当に千枚マスクを持っていたんでしょうかねぇ?
実はマスカラスは皆さんのイメージでは銀色の地に目の周りが黒い縁取りでおでこに「肉」…はキン肉マンですが、おでこに「M」と書いたマスクを思い浮かべると思いますが、当初は試合ごとにマスクを変えていたようで、初来日の時、どうもロサンゼルスで戦っていた時の写真に写っていたマスクがかなり恐ろしい、不気味なマスクだったようで、日本のプロレスマスコミは「悪魔仮面」と名をつけました。
なのでこれもポイントです。「マスカラスは悪魔仮面だった」と。これを言えば相当「やるな」と言われますので覚えておくと宜しいかと思います。

そんなマスカラスは「悪魔仮面」と言われていましたが、彼は究極のベビーフェイスですね。いい者ですね。実はルチャリブレではいい者を「リンピオ」とか「テクニコ」と言いまして、悪者を「ルード」と言うんですが、いい者対悪者が定番です。
ややこしいのは昔ゴールデンでTV放送していた時代によく来ていた素顔のレスラーで「ベビーフェイス」という悪役、ルードがいたんですよね。当時「ベビーフェイス」は「童顔」だと思っていたので違和感がなかったのですが、今思うと訳分からないですね。
ここもポイント。「昔ベビーフェイスという悪者、ルードがいた」

そのルードの頂点にいた、マスカラスのライバルと言えば誰でしょうか?マスカラスは馬場の率いる全日本に来ていましたが、そのライバルは馬場のライバル猪木率いる新日本に来ていましたが…時間の関係で答えを言いますと、「カネック、エルカネック」です。
そのカネックは「敵前逃亡事件」というとんでもないことをやらかしました。
まだ若い頃、ニューヨークは殿堂・マジソンスクエアガーデンでWWWFジュニアヘビー級の王座を獲得した選手、分かりますか?その後の初代タイガーマスク以降へと続くジュニアヘビー級というジャンルを開拓した…時間の関係で言っちゃいますが、藤波辰巳(当時)なんですけど、カネックは藤波に挑戦することが決まっていたのですが、そのタイトルマッチの日にメキシコに帰ってしまったのです。
*ここで痛恨の「藤波ネタ」を失念してしまった!!!
当時の藤波の必殺技と言えば、(間髪入れず)そう、ドラゴンスープレックスですが、この技は背後からフルネルソン、羽交い絞めの体勢でそのままスープレックスで後ろに投げ飛ばしフォールを取る技で、受け身の取れない危険な技で、相手はノックアウトや首を痛めて病院送りになってしまう技です。最近はこの技で決まってしまうと「な~んだ、返せよ」と言われますのでどうなっちゃっているんでしょうか?で、カネックはドラゴンスープレックスが怖くて敵前逃亡した、と古舘伊知郎だったか分かりませんがアナウンサーが言ってましたが、実は悲しい裏事情があったんですね。っていうのは新日本側からタイトルにマスクをかけろ、と急に言ってきたらしいんですね。「芸能人は歯が命」と言いますが、「マスクマンはマスクが命」なんですが、要は試合に「命をかけろ」と言われたようなものです。ただそれはまだいいんですが、今も米国の方がいらっしゃいますので(同じバスの中に)このまま日本語で話しますが、どうも当時はメキシカンを迫害・差別していた時代だったようで、いじめられていたんですね。というか暴行を受けて負傷していたようです。今はそういうこともなく仲良くしていますが、当時はそういう時代だったようですね。
そんな印象の悪いカネックですが、実は無茶苦茶強かったんですね。そしてとんでもないことをやってのけたんです。
というのも3大マーケットですので世界の強豪大型有名外人レスラーが次々とメキシコへやってきます。スタンハンセン、ハルクホーガン、ブッチャーにタイガージェットシン、ベイダーなんかも来ましたし、猪木、長州、藤波もやって来ます。本来迎え撃つはずなのはいい者・リンピオ代表のマスカラスであってしかるべきなんですが、団体の事情やマスカラスのわがままな性格もあって、全てカネックが迎え撃ったんですね。
その極め付けは全盛期の236㎏のアンドレザジャイアントを“聖地”アレナメヒコの大観衆の前でボディースラムで投げてしまったんですね!当時のアンドレをボディスラムで投げたのは世界で5人しかいない、ものすごい出来事だったんですね~!日本でも東京スポーツで大きく報道されましたし、メキシコでは号外が出たんじゃないですかね?ひょっとしたら歴史の教科書に載ってるかも分かりませんが、そのくらいの大事件でした。
そこでポイント、「かネックはアンドレをボディスラムで投げた」

では先ほどの問題の一番有名なルチャドール、メキシコのプロレスラーは誰でしょう?これを答えられた方はもれなく我々の仲間に入って頂きたいのですが…。さっきガイドさんが小声で言ってましたが、何て言いました?
(ガイドさん)「サントス」
え~、サントスということですが、答えは「ブーッ」です。「ス」が余計ですね~。答えは「エルサント」です。日本語でいうと「聖人」、俳優の萩原聖人の「まさと」、「ひじり」っていう字で松田聖子の「聖」に「人」です。
このサントは「神様に近い存在」と言われてましたが、プロレスの枠を超えた国民的ヒーローで、多分力道山と王・長嶋、大鵬を足した、もう殆ど神様のような存在でした。確か60過ぎまで試合をしていましたが、効いてなさそうな技も、サントがやると威力抜群で、相手はイチコロでやられてしまうという神がかっていたようです。
そんなサントもマスクマンですが、白地に何の飾りもないマスクですが、人前では絶対マスクを取らなかったそうです。実は亡くなった葬儀の棺桶の中でもマスクをしていたという逸話があります。それだけ人前でマスクを取らなかったら、取っても正体が誰だか分からないような気もしますけどもね…。
そこでポイント、「サントは死んでもマスクを取らなかった」

日本にも岩手県議会でマスクを取らなかったザ・グレートサスケという選手もいましたが、彼もルチャドールでした。
また先日のガイドさんの話に出てきた(観光案内したら自分より詳しかったらしい)「ウルティモドラゴン」ですが、彼は本名・浅井嘉浩といって愛知県出身と殆ど正体がバレていますが、そのウルティモドラゴンは新日本プロレスに憧れてテストを受けました。体力テスト自体は合格したんですが、いかんせん体が小さい。当時はアンドレやホーガンがいる時代ですので仕方なかったんでしょうか、練習生として練習をしていました。そこから単身メキシコに渡りレスラーデビューし、その後世界的な有名レスラーにのし上がって念願の新日本に逆上陸する、というアメリカンドリームならぬメキシカンドリームを果たすわけです。
ところが腕に大けがをして強かったんですがしばらく試合ができなくなってしまいます。そこで彼は「闘龍門」という中華料理屋みたいな名前のプロレス学校をメキシコで始めたんですね。ガイドさんが「プロレスラーがよく修行に来る」と言っていましたが、デビューしてから来るレスラーもたくさんいますが、レスラーになるために闘龍門に来る若者も多かった訳です。因みにウルティモドラゴンは「校長」と呼ばれています。
その闘龍門の出世頭はというと、今新日本プロレスのエース級になっている「オカダカズチカ」ですね。オカダはメキシコにも日本にも珍しい191㎝の長身で、まだ25歳と若くておまけにイケメン。50mを5秒台で走る運動神経抜群の持ち主で、彼のドロップキックは銭の取れる技です。普通のドロップキックは胸板にバーンと当たる感じですが、オカダは抜群の跳躍力で相手の頭上より高く跳んで上から下にものの見事に打ち込むんですね。オカダは久々に出てきたスター選手ではないかと思います。

そんなルチャリブレを見たいなぁと言う方に朗報です。今回メキシコでは見られませんが、日本でもルチャリブレは見られるんですね。直近で言うと11月1日に武藤敬司の団体のW-1で、「アルベルト・デル・リオ」が船木誠勝と戦います。このアルベルトデルリオは、何とマスカラスの甥なんです。甥って言うことは兄弟の息子ですが、そうです、ドスカラスの息子です。当初はドスカラス・ジュニアと名乗っていましたが、その後名前を変えてWWEの王者にもなりました。まぁ船木との一戦でルチャリブレの動きはやらないと思いますけどね。
そして毎年1月後半に新日本プロレスがルチャのトップ選手を集めた大会をやっています。通常設置する場外フェンスを取っ払いまして、空中戦し放題、跳び放題で、すごく感動する大会ですが、予算ヒヤリングの時期なのでJTも行ったことはありません。けど皆様が行きたい、とおっしゃるなら会長以下召集かけますのでよろしくお願いします。
ただやっぱり知っている選手じゃないと、という方もいらっしゃるかと思いますが、実はマスカラスはまだ現役なんですね~。先月もインディ団体に参戦して低空のフライングクロスチョップをやっていたようです。数年前には初代タイガーマスクと夢のタッグを組んで、藤波辰爾とルチャを最初に日本に持ち込んだとされるグラン浜田とのタッグマッチがありました。まさに夢のカードでしたが、できれば30年位前にやって欲しかったですね。
ということで、最後のポイントは「マスカラスはまだ現役だった」です。

こんな知識は今まで仕事に役立つことはなかったんですが、皆さんは是非出張報告書に先ほどのポイントを書き残してくださいね。きっと将来メキシコで商売をする際には有効な情報になると思いますので、是非お願いします。
バスは順調にアレナメヒコへ向かっておりますが、以上が地理学者的メキシコマット概要でございます。

*************************と、味気無い視察旅行が一気に盛り上がったかどうかは分かりませんが、終わってから痛恨のネタ忘れに気付くのです。
悔しいので?ここで紹介させていただきます。

(カネックのくだりで)
その藤波ですが、メキシコでは「フヒナミ」と呼ばれておりました。メキシコの方は「ジ」が「ヒ」になってしまうんですかね?そうなるとJTは「〇ヒカ・ヒロウ」になってしまうんですかね?
「ヒロウ」?だから疲れるんでしょうか…。

(おっと、危うく本名がバレるところでした:(^_^;))

その後、皆の期待に応えてマスクマンに変身したいきさつは2014年10月24日のブログ「ミッション遂行」をご参照下さい。
因みにマスカラスは12月に来日し、テリーファンクとタッグを組むそうです…。やっぱり30年遅い(^_-)。


以上